2006年03月13日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya

ご無沙汰しています。Naoyaです。

実は、もうずいぶん前に日本に帰国しています。カナダでの生活の
事もだんだんとぼやけたものになっています。ぼやけたというとな
んだかネガティブなイメージですので、カナダの記憶が僕の体に染
み込んだと言っておきます。僕は、日記や写真を見返して、具体的
にカナダでの思い出を想起せずとも、カナダの記憶は僕に染み込ん
でいるとわかっています。

それの記憶は、ほとんど全部が人との出会いです。一応、僕もカナ
ダの主要な観光地はささっと旅行中に立ち寄っているのですが、強
烈な印象を残した風景は記録としてよりも僕の記憶として体に刻み
ついている気がします。人との出会いというのは記録じゃなくて記
憶です。正直、出会いの一つ一つを言葉にするのはハードなことで
す。でも、確実に僕の体の中に宿っている。そういうものです。

もしも僕のカナダ滞在が1週間のパッケージツアーだったら、おそ
らく記録しか残らなかったんじゃないかと思います。そういう意味
で僕はカナダでの2ヶ月弱の旅行をも含めて、日常を生活できたこ
とは本当に貴重な体験だったのだと改めて思っています。

さて、帰国してから日本各地を移動する機会が増えています。相変
わらず方向音痴な僕は、いろいろな人に道を尋ねたりしないと目的
地に到着できません。帰国間もない頃は、日本でのそんな会話に違
和感というか、物足りなさのようなものを感じていました。それは
日本では道を尋ねるという事務的な行為が、事務的なまま終わって
しまうからです。

カナダを旅行中のときは鉄道の職員やバスの運転手でさえ、時には
職務を越えて接して人間づきあいをしてくれていました。情報が大
雑把でいい加減だったり、「ノー・プロブレム!」といいつつも、
プロブレム満載だったりするのはご愛嬌です(笑)。トロントでは
道を尋ねたことがきっかけで、地元の大学生にミュージアムを案内
してもらったり、オタワでは家に招待されてご飯をご馳走になった
こともありました。

20数年間ずっと違和感なく受け入れていた「日本流」に、ほんの数
ヶ月のカナダ滞在で違和感を感じるようになるなんて、僕のカナダ
での記憶がいかに強力か想像できますよね?

人によって状況は違います。今刺激がなくて退屈している人。ハッ
ピーな人。アンハッピーな人。もうすぐ日本に帰る人。移民として
カナダに残る人。将来は別の国にいる人。あなたのカナダでの体験
がどんなものであれ、しばらく時間を置いて自分の体に染み込んだ
記憶と対話してみてください。かつての自分とはひと味、ふた味、
違う自分になっていることを発見するのではないでしょうか。
==============================

最後の挨拶。

4月より一年間、高野山某所にて生活するため、これにて一応終わ
りにさせていただきます。不定期のいい加減な連載でしたが、少し
でも楽しんでもらえたでしょうか?

高野山での一年間の生活は、カナダでの開放的な生活とは真逆なも
のになるかと思います。なんせ、外部との接触不可に加えて、個人
の自由、主張等みとめられないとの事ですので。。。まぁ、でもカ
ナダにいようが高野山にいようがどこにいようが、大切なことは同
じことです。

(1) 目の前のことに集中すること。

(2) 目の前の事を楽しむこと。

(3) 丁寧に生活すること。

これは僕の人生の極意です。時にご乱心で生活も乱れがちな僕です
が、基本はこの3点しっかり守っていきていきたいと思っています。
では皆さんごきげんよう。
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2005年11月27日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya

旅行中の出会いは基本的に一期一会だ。連絡先を交換することはよ
くあるが、その後、連絡を取り合うことは意外と少ない。そんな一
期一会の中にもいろいろな種類がある。

毎晩一緒に遊び歩いたにもかかわらず、時間がたてば素っ気ないく
らいに記憶から追いやられてしまうもの。二言、三言しか交わして
いないのに心の奥に何かが引っかかったようにいつまでも忘れられ
ないもの。

後者は僕にとって数名のカナディアンとの出会いだ。僕の心にいつ
までも彼らが存在感を示してとどまっている理由は二つある。ひと
つは、彼らは堂々と自分がカナディアンであることを主張するから
だ。

カナダでは他民族、多文化であることが既に当たり前になっている
からであろうか、マナーに反するからだろうかわからないが、あえ
て「私はウクライナ系です」とか「中国系です」と自己紹介する人
には会ったことがなかった。その自信とプライドにあふれた自己紹
介は、僕にとって新鮮だった。二つ目は、彼らが例外なく「人生の
達人」であり、みんながよき人生について一嘉言(※)もっていた
からだ。

ウィニペグで出会ったおじいさんはこう言う。「正しく食事をとっ
て、正しく眠る。そして正しく呼吸する。そうすれば体が元気にな
る。体が元気になると心が元気になる。」

カムループスであったおじいさんはこう言う。「海を大切にしなさ
い。私達はみんな海から来たんだ。最近の日本はそのことを忘れて
るだろ?昔は違ったのに…」

こういう言葉は、最近流行のヨガやスロウライフといったロハスな
生活を連想させる。しかし、彼らの口から出てくる言葉は、僕にも
っと自然で歴史の裏打ちがあるように感じられる。そして禅問答の
ように含蓄がある。

成熟した多文化社会の中にあるカナダでは、カナディアンの存在は
さりげないものなのかも知れない。しかし、その生き方のようなも
のは、常にカナダのどこかで呼吸しているのではないか。だからこ
んなさりげない数ヶ月前の一期一会が、僕の中で彩やかに呼吸して
いるのではないか。

※一嘉言=一人の戒めとなるよい言葉
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2005年09月26日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya〜旅で出会ったカナダの子供達〜

約1ヵ月半の旅行を終えて、既に1ヶ月以上が経ちましたが、いまだに寝つけない夜などには旅行中のことをよく思い出します。

僕が見てきた限りではカナダではほとんどの町に「ちょっとコーヒーを片手に語らう場所」や「気軽に水浴びできる場所」があります。
旅行中に僕が多くの時間を過ごした場所はそういう場所でした。
モントリオールのジャズフェスティバルを除いては、「CNタワーにのぼりたい!」とか「ナイアガラの水しぶきを浴びたい!」といった明確な目的を持たずに旅を続けていた僕にとっては、観光地より気取らない地元の憩いの場のほうが性に合っていたようです。

こういった場所は僕にとって、観光地にいる時に不意に襲ってくる自分はゲストであるという感情からの逃げ場でもあります。
そのことに一役も二役も買っているのが「憩いの場」を縦横無尽に駆け回っている子供達でした。
大人と接しているときには、彼らがいかに親切でフレンドリーであれども、僕は外国人であり観光客として扱われます。
これは僕だけでも日本人だけでもなく、他の国からの旅行者も同じことであり、事実、僕達は外国人観光客なのです。

でも、子供達は僕をいつも違う次元からみています。
友達や仲間として。素直に正直にありのままに。
仏教用語でこういう視点の事を「自由自在」と言います。
禅では「世界とは?」と問われ「柳は緑、花は紅」と答えます。
僕達が徐々に身につけてきた偏見や先入観を持たずに、ありのままに物事を見られる自由な子供達。
そんな子供達と触れ合うことがどんな観光資源よりも僕にとってカナダでした。


ウィニペグのホステルにいた小さな女の子はコモンルームで一緒になると、
満面の笑みで近づいてきてこういいました。

 「私、日本の歌覚えたの!

そして、かわいらしい振り付きで「い〜と〜まきまき…」と歌い始めました。
あらためて旅行中のことを思い出していると、僕はこういう笑顔を分けてもらうために旅を続けていたんだなぁと思いました。
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2005年09月02日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya〜ナイアガラの韓国人家族旅行〜

こんにちは、なおやです。ただいま旅行を終えて、バンクーバーからお届けします。
旅行中はいろいろな人に出会いました。
旅行は一応終了しましたが、今回から数回、旅行中に出会った人、出来事を、小出しにして紹介していきたいと思います。

ユースやバックパッカーズのドミトリーに宿泊していると、いろいろな人と知り合うチャンスがあります。
でも、多くは1人旅や2人旅の少人数の旅行者です。
家族や複数人のグループで旅行する人たちは、その人たちの中で過不足なく旅行が完結してしまっているので、なかなか話しかけたり、話しかけられたりする機会が少ないです。

特に家族旅行では、安宿に泊まる機会も少ないのでなおさらです。
僕は、ナイアガラ・フォールスにあるバックパッカーズホステルのドミトリーで、韓国からきた家族と一緒になりました。
両親と小学生高学年か中学生くらいの男の子と女の子で、カルガリーを起点に旅行をしているその家族は、とても微笑ましくて、かわいらしくて、素敵な人たちでした。

この家族は英語がまったくしゃべれません。
でも、すれ違う人には誰に対しても飛び切りの笑顔で「hello!」と声をかけます。
そして会話を続けるために電子辞書を片手に、家族会議が始まります。
もちろん、普通に会話するのに比べて、3倍も4倍も時間がかかってしまいます。
でも、バックパッカーズはお金はないけど、時間だけはたっぷりあるという境遇の人が多いので、真剣に粘り強く、丁寧に耳を傾けます。

そんな風景を見ていると、僕は仏教の本来のお布施の意味を感じずにいられませんでした。
多くの人たちは、お布施は信者がお坊さんに対してお金を寄付することだと思っています。
でもこれは、仏教が形骸化してしまった少し悲しい姿です。
本来のお布施には、お客さんが来る前に掃除をしたり、声をかけられて笑顔でお返ししたり、
話を聞くために時間を割いたり、そういくことも含まれています。

つまり、それは一方通行の報酬ではなく、お互いが今、接してる人や物に対してもてなし」の心を持つことです。
お互いにお互いの喜びを出し合うことです。
だから、お布施のことを「喜捨」ともいうのです。

ナイアガラのホステルでの一コマは、スピードの中で人の心は見えないことを改めて教えてくれました。

余談ですが、実はこの韓国人のお父さんのお仕事はキリスト教の牧師さんです。
宗教は違えども本当に大切な基礎的な部分は共通なんだなって思います。
posted by カナダ留学 & ワーホリ アシストチーム  ☆Editorial Director☆ at 01:33| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート カナダで一期一会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月31日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya

こんにちはNaoyaです。
今、ケベック州の田舎町ペルセでこの記事を書いています。
本当はこの時期まだモントリオールでゆっくりしているはずだったのですが、事情が出来てVIA鉄道のキャンレイルパスを利用して旅行中です。

僕の旅行の仕方はガイドブックもろくに見ず、まずは1・2日、町中を歩き回ります(ちなみにモントリオールからケベックに行くバスの中でガイドブックを紛失もうやだ〜(悲しい顔))。
しかも同じところを何回も歩いたりします。
そうすると結構地元の人が気にかけて声をかけてくれたりします。

僕はこの方法でモントリオールでおじいちゃんのタクシー運転手さんと知り合いました。

 「○○ってどこか知ってるか?」

とイキナリでかい声で話しかけられたのが始まりです。
「知らない、知らない。昨日来たばかりだし。」と返すと、

「○○はここだよ。この3時間で3、4回も見たから多分迷ってるんだと思って声かけたんだよ。」と。

僕も暇だったし、多分この人も暇だと思ったので、結局30分くらいくだらない話をしていました。この運転手がなかなかの曲者で、

「お前どうして日本人なのに中国語がしゃべれないんだ?」
「家には刀が何本あるんだ?」
「ブルース・リーはどのオリンピックでメダルを取ったんだ?」
etc etc

本気とも冗談ともつかない質問を投げかけてきますたらーっ(汗)
この運転手さんとは僕のモントリオール滞在最終日に再会することになります。

45リットルのバカでかいバックパックではありましたが、最後に思い出の多いモントリオールをゆっくり歩きたくて、バスディーポまで30分の道のりを歩こうとしていたとき、一台のタクシーが横付けしました。

それがあの運転手だったのです。

「お前もう帰るの?」

「うん。ジャズフェスティバル終わったから、バスでケベックに行くよ。」

「じゃあ、俺のタクシー乗ってきな。」

「いやいや、そんなお金ないし。」

タダにする方法があるぞ。お前がもう一度ここに来るって言うなら、今日はタダだ。

僕は彼の最後のせりふで彼がいかに自分の町を愛しているのか理解できたし、断るのはきっと失礼なことなのだと思い「Merci」と返してタクシーに乗り込みました。

タクシーの中ではこの前とうって変わり、運転手さんはプロの顔でした。
最後に思い出の多いモントリオールをゆっくり思い返しながら歩くというのは、次の機会にお預けになりましたが、最後にまたひとつ大きな思い出をいただくことが出来ました。

名前は聞いていませんが、僕と彼との間に「」があれば、僕が次にモントリオールに行ったときに乗るタクシーは彼のタクシーかもしれません。
posted by カナダ留学 & ワーホリ アシストチーム  ☆Editorial Director☆ at 04:43| バンクーバー ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート カナダで一期一会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya

〜ミシュラ京子さん〜

「千里の道も一歩から」といいますが、最近は1歩目で日本を出たら、2歩目で飛行機に飛び乗り、3歩目にはもうバンクーバーって感じですよね。たった3歩で海の外へ出れちゃうなんてすごいですね。

さて今回は日本への一時帰国から帰ってきたばかりで時差ぼけの残るミシュラ京子さんとお話です。ファミリーネームからわかるように、パートナーはインドの方です。16年前にワーホリでカナダに来ていた僕達の大先輩でもあります。
 
その京子さんは三歩の旅についてこう語ります。「昨日ダイエーで買い物していたのに、今日はもうバンクーバーにいるなんて不思議な気分」と。

こんなに交通手段が発達する以前は、ゆっくりと景色のグラデュエーションを楽しむ旅が主流だったはず。でも今は観光スポットだけにフォーカスをあてた、瞬間移動のような旅行が主流です。とっても便利になりました。でも何かが抜け落ちている。それがきっと「不思議な気分」なんだと思います。京子さんがそのことに感覚的に気がついたのはインド人のパートナーとの7年の結婚生活が大きく影響しているのではないでしょうか?

京子さんはパートナーと日本で出会い、新婚生活の最初の2年間はインドのボンベイで暮らしています。人との付き合い、特に異文化を持つ人との付き合い、は旅に似ている気がします。急ぐと何か大切なものが抜け落ちてしまうという点で。

京子さんは語ります「7年たって、やっとインドの文化がなんとなくわかり始めてきた」と。かつてはヒンドゥーが牛を神様と拝めていることやカースト制度について理解できなかったそうです。でも今はそれが意外と合理的だったり、実にもっともであったりするんじゃないかと考えるにいたっているそうです。

「何千年も伝統として残ってきたものには、それなりの理由がある。」

そういうことを理屈でなく感覚での理解はとても時間がかかって骨が折れることです。そして、終わりのない探索です。京子さんはこれからもゆっくりゆっくり異文化の宝物を求めて歩いていく事だと思います。

さてさて、私事ですがこれがリリースされる頃にはモントリオールにいます。無計画移住ですが2・3ヶ月モントリオールの空気を吸ってみたいと思います。残念ながら、ジャズフェスティバルに間に合わせるために「3歩の旅行」です。が、僕も京子さんを見習って、ゆっくりとモントリオールを探索していきたいと思います。では次回モントリオール発「一期一会」をご期待ください。
posted by  カナダ留学 & ワーホリ アシストチーム ☆Headquarters☆ at 00:01| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート カナダで一期一会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya 〜WATTメンバーTETSUと会う〜

〜WATTメンバーTETSUと会う〜

流れている限り水は腐らない。このことを知らない人は意外に多い。

TETSUと話している時、ずいぶん昔に読んだ藤原新也さんの『東京漂流』の冒頭の一文を思い出しました。この言葉、実は仏教説法にもよく使われていて、その時は「水」を「人」に置き換えます。それは人間の7割以上が水でできているからです。

TETSUには人を惹き付ける魅力がある。それは流れているから。僕も話をしながら、なぜかずっとわくわくしていました。

TETSUには人を惹きつける力があるようです。学校はもちろん、友達ができPUBで飲み歩いたりと課外活動で英語力を磨く(?)機会もしっかり作っていたそうです。なんと、今のステイ先は飲み友達でサッカー友達のすっかり“ダチ”になった当時の先生宅。

「どのくらい英語力をつけたらいいのか?」というのはワーホリで滞在中の間でよく話題になるトピックです。

極論を言えば、「留学じゃないから、英語力なんてつけなくともよい」逆に「本当に英語を身につけようとワーホリビザを利用する人もいる」ワーホリならば、フレキシブルな選択もできる。でも、だからこそ、どうしてよいかわかんなくなっちゃう人も多いかもしれません。

実は「机上の勉強を多少おろそかになりがちになってでも友達と飲み歩いて…」というTETSUの選択は、安易に見えて、なかなかできない勇気のいる選択なんじゃないでしょうか(意志の弱さで酒に流れたり、やることがないから飲み歩くのとは別)。それは本人が気づいてなくとも、大きな流れの中で自分を捉える余裕のある人間ができる選択です。

そんなTETSU、実は学校通学中、思い描いていたことがある。「バンクーバーを出て生活すること」です。心に決めた場所はまだ無く、「自分の目で見て気に入った場所に住みたい」という気持ちで「一ヶ月のバス旅行」が始まります。

カナダ南部をくまなく訪れたといってよい旅は、トロント・モントリオールなどのメジャーな都市から、バッドランド、サンダーベイ、ハリファックスなどなど聞いたことの無い土地もちらほら。

そして決まった移動先はウィニペグです。「どうしてウィニペグ?」と聞くと、予想通り「なんとなく気に入ったから」という返事。住む土地を決めるのって、なんだかんだ筋の通ったロジックよりも、やっぱ、勘!さらに「これから寒くなるウィニペグ(冬は-30℃)に行くやつは俺しかいないと思ったから…」とのこと。その反骨精神も素敵です。

結局ウィニペグには4ヶ月滞在。その間英語は独学。そして学んだ英語を形にしたくてバンクーバーに帰ってTESOLのディプロマ取得。カナダに来た第一の目的は英語習得。一見、無計画ながら語学学校→飲みニケーション→ウィニペグでの独習→TESOL習得と、ず〜っと勉強は続けているというすごくまじめな一面もちらほら。

残り一ヶ月を切ったカナダ滞在を満喫しているTETSUですが、来加当初は半年ほどで帰国するつもりだったようです。なんだかんだで一年間カナダに滞在した理由はもちろん「気に入ったから!」

本当は「したい」「したくない」が大切なのに、「出来る」「出来ない」に囚われすぎている人が多いんじゃないかな。でも、何かに囚われると「流れ」が止まっちゃっうよと心配になります。

みんな子供の頃はもっと、したいとか、好きだとかが一番大切だったはずです。そういう意味でTETSUはよい意味で子供っぽい大人です。大人になるってことは本当は好き嫌いを言えなくなることなんじゃなくて、好き嫌いをはっきりさせなきゃいけないことなんじゃないかなと感じさせてくれます。

そんな彼の帰国後の「したい」はワーホリ第二弾オーストラリア英語修行。その後に非英語圏の韓国でワーホリ。そこでは日本語や英語の先生として働き、帰国後は昔、漫画から影響を受けて憧れた「消防士」を目指してみるとのこと。

もちろん流れ続けているTETSUのことですからそれに沿って自由に予定なんて変わっていっちゃうかもしれませんけど…

皆さんも気をつけてください「流れ」を絶やすと人間は腐っていっちゃう不便な生き物なのです。
posted by カナダ留学 & ワーホリ アシストチーム  ☆Editorial Director☆ at 16:23| バンクーバー ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート カナダで一期一会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月01日

「今日もカナダで一期一会」by Naoya 

〜日系カナダ人のおじいちゃん〜

バンクーバーのダウンタウンにいる限り、日本人と知り合うことにあまり苦労はありません。でも、ずっと昔からバンクーバーに住んでいる日系カナダ人と話をする機会を持つ人は少ないんじゃないでしょうか?

僕はバンクーバーに来て二週間目で、運良く日系カナダ人のおじいちゃんから話を聞く機会を得ました。バス停で、時刻を尋ねられたのがきっかけで長話をすることになったおじいちゃん。彼は英語しかしゃべることができず、「もうほとんどカナダ人みたいなものだよ」と冗談っぽくいう。

が、自分の祖先が皇室の庭師だったことに誇りを持ち、二年前の大相撲バンクーバー場所を熱っぽく語る。時代劇が大好きだという。僕が侍の家系であることや、弓道をやっていたこと。実家がお寺であることを言うとすごく興味深そうにいろいろ尋ねてくる。僕は彼と話しをしながら、僕達、日本人が忘れている「日本人の部分」を感じずにはいられませんでした。

他の多くの移民と同じく、バンクーバー日系移民の歴史も悲哀に満ちている。カナダの移民は大陸横断鉄道に端を発する。アメリカが50年以上かけて作り上げた大陸横断鉄道をカナダは四年間で仕上げてしまいます。そのことが広大な国土と人口の希薄さのギャップを生み、カナダ政府はこのギャップを埋めるために中国や日本移民を利用しました。

しかし、カナダ人の人口が増えるにつれて、移民は邪魔者扱いされ、彼らに不利な法律が定められた(これは単に労働者が不必要になったわけではなく、差別的な意味合いも含まれていました)。

特に日系移民に対しては1942年に戦争協力者として財産没収と強制収用が課せられます。その影響で漁村スティーブンソンや日本人街パウエルは廃れてしまいました。

数年前、その日系人の悲壮な体験がカナダ政府に認知され、日系ヘリテージセンター経由で、保障金が支給されました。かかる年月、50年ほど。

日本の地を踏んだことがない二世以降の人々も含め、彼らは「日本人である」ことから逃げることが出来なかった。「日本人である」というアイデンティティは常に脅かされていたのです。

僕達が、幸運にも当たり前に享受している日本人であること。それは、大切に守っていかなきゃいけないものであると同時に、決してそこからは逃げられないものなんです。

たまには哲学者みたいに、そんなことをぼんやり考えながら、日系移民の歴史に思いを馳せるのも悪くない週末の過ごし方かもしれませんよ。きっとバンクーバーを見る目が研ぎ澄まされるはずです。

===参考資料===
☆グランシス・フランシス/木村和夫編
『カナダの地域と民族 歴史的アプローチ』
同文舘 1995年
☆日本カナダ学会編
『資料が語るカナダ1535〜1995』
有斐閣 1997年
☆マリカ・オマツ著/田中祐介・田中デアドリ訳
『ほろ苦い勝利 戦後日系カナダ人リドレス運動史』
現代書舘 1994年
==========日系カナダ人補償問題について 知る!
posted by カナダ留学 & ワーホリ アシストチーム  ☆Editorial Director☆ at 00:03| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート カナダで一期一会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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